シューズの歴史に見るクライミングの変遷 1



目白店のジャック中根です。

ロッククライミング専用シューズの特徴と言えば、まず靴底に凹凸パターンのない平らなゴムが貼ってあることが挙げられます。
初期のうちは、「ラバーソール」「フラットソール」なんて呼ばれたりもしてまして。
最初に作られたそれは、フランスのフォンテーヌ・ブローでのボルダリングに使うために作られたものでした。
「エドモン・ブードノー」という靴職人が作り上げたその靴は、紺色のキャンバス地で出来ており、
その頭文字からEBシューズと呼ばれました。1950年代のことです。

やがて海を渡ったこの靴は、アメリカのヨセミテ国立公園で行われていたクリーンクライミング(ハードフリークライミング)に使用され、クライミングのレベルを大きく引き上げました。
今でも世界で一番有名なボルダリング課題「ミッドナイトライトニング」 V8/9や、5.13のクラックルートも、このEBシューズによって達成されました。


日本では1975年頃より販売されましたが、当初はほとんど使う人がおらず、海外に遠征したクライマーが持ち帰って使っているぐらいでした。
EBシューズを使う岩場、ルートがまだ、開拓されていなかったのが実情です。
アルパインルートのフリー化や、ゲレンデでのフリークライミングには、軽量で、手に入りやすいゴム底、スポンジ底の運動靴を流用して使う人も多くいて、「月星」「セカイチョー」といった各々のこだわりメーカーのランニングシューズなど持って行くことも多かったのです。
とはいえ、そのような靴では5.10を越える花崗岩のスラブやクラックを登ることは出来ずにいました。
ヨセミテ帰りのクライマーらが中心となり新しいルートを開くようになると、EBシューズは1980年頃より少しづつ普及し、トップクライマーの多くが使うようになりました。

小川山、瑞牆山といったクラック、スラブが発達したクライミングエリアが発表されると、
一気にクライミングシューズの時代が到来し、色々なメーカーから、多くの種類が発売されました。
素材や凝った作りの物もありましたが、基本的にEBシューズを凌駕する靴はなく、弱いキャンバス地をあて革で補強したりして使い続ける人が多かったようです。


そんなEBシューズ時代を一気に終わらせる大変革が1984年にスペインから、やってきました。
ボリエールというメーカーが発売したフィーレという靴が、大旋風を巻き起こしたのです。

当時、クライミングシューズの新製品は何か行き詰っており、やたらに穴数の多い紐締め靴、踵だけブロックパターンのある靴、アキレス腱側にも紐締めのシステムがある靴等、ある意味迷走状態?でした。
そこに登場したこのフィーレは、なんの変哲もない、というよりむしろ野暮ったい靴でした。
穴数は少なく、色もさえないネズミ色。その姿は、焼酎用のさつま芋みたいな感じで、それがとても高性能なものには思えなかったのです。
ところが、とにかくこの靴は底に張ってあるゴムのフリクションがよく、どこでも止まる魔法の靴だと言う触れ込みでした。
日本のクライマーが最も憧れていたジョン・バーカーがいち早くこの靴に履き替えて、難しいルートを次々に登っているとの情報が、当時唯一の情報源であった雑誌「岩と雪」100号に載りました。

 
なんとか手に入れて早く使いたいと誰もが思う中、輸入をシュイナード・ジャパン(現在のロストアロー社)が始めるということになりました。
芋のようなフィーレは、幅広甲高の日本人にかえってバッチリフィットし、またたく間に普及していきました。
1980年代後半になると、日本人クライマーの80%以上がフィーレという時代が訪れました。
登れるシューズを考えるとシューズの選択肢は殆どなく、他人と被るのが嫌だ等と言うクライマーも、まあいませんでした。


 
初代フィーレを履いて、小川山のロリータJUNKOを登る


小川山には、ロリータJUNKOをはじめとする5.12を超えるスラブルートが作られ、スーパーイムジン、ローリングストーンといった高難度クラックルートも、このフィーレでよく登られていったのでした。
また、フィーレは履きやすかったので、シングルピッチのフリークライミングだけでなく、マルチピッチやアルパインクライミングにも使われ日本のクライミングの発展に大きく寄与しました。
というのもの、多くのクライマーが同じ靴を履いたので、サイズ感が解りやすく、大きすぎるサイズでは小さいホールドに立ち込めないことが、他人との比較で納得することが早く出来ました。
ヒールフック、トゥフック等も同じ条件でやっていたので、クライマーの力量の差がダイレクトに出たのも良かったのではないかと、今になると思えてきます。


まだ、フリークライミングで日本は世界のレベルに追いついていない時代でしたが、その後世界のレベルに追いつく下地を作ったのが、このフィーレだったのです。
そして1980年代後半になると、クライミング界も、シューズも大きな変革期を迎えるのですが、そのお話は、次回のココロなのです。